
“もしも願いが叶うなら…もう一度子ども時代、何でもない日常を母とゆっくり過ごしてみたい”そんなコラムがあった。
「もし昔に戻れるとしたら…」 誰しも考えた事のある、自分への問いである。
幼少期、小さな商店で60円のキャラメルを買ってもらい、手を繋いでもらった帰り道を思い出す。今では病院に連れて行く際、自分が母の手を繋いでいる。
父が亡くなってから、同じ屋根の下で暮らしているから、昔を懐かしむ余韻もなく、毎日顔を合わせている。そんな母の年齢を追いかけ、娘たちの母として、いま理解出来る想いがある。
「あったか言葉を使おうね」
相手が温かくなる言葉を選ぼうね。 言われたお友達も、言った自分も心が温かくなるよ。逆に冷たい言葉を使うと、自分の心が冷たくなるからね。
先日、空知支部の春期研修会で学んだ嶋崎先生の「ペップトーク」に共通するものがある。
いつの間にか、社会にもまれ、人にもまれ…自分を守る事に必死で、キツイ言葉を使う事が多くなった。すると相手からも、キツイ言葉が返ってくる。
「あったかご飯を用意しなさい」
ご馳走はいらないの、温かいご飯と味噌汁があれば十分。 どんなに疲れていても、子ども達はご飯を食べに家に帰ってくるからね。
腕時計も持っていない昭和時代、日が沈むまで公園で遊び、お腹が空いたら「また学校で」友達と別れ、家まで走って帰った。「手を洗いなさい」温かいご飯が用意されていた。
コンビニやファーストフードが増えた平成時代も同じだ。友達と遊んで、帰りが遅くなっても母のご飯を食べた。携帯電話もない時代、心配しながら待っていたのだろう。
令和時代、今度は自炊している大学生の娘たちが「お母さんの温かいご飯が食べたい」と帰省する。「美味しいものでも食べに行こうよ」 誘っても結局、普段と同じ食卓を囲む。
「今日も一日ありがとうね」
最近の母は、そう言いながら床に就く。 いつか真似しようと思う。
夫か、娘の家族か、病院・施設か…誰でもいい、感謝しながら寝よう。きっと、心も体もポカポカだ。「温かいご飯をありがとう」「近くにいてくれてありがとう」「楽しい時間をありがとう」が伝わる。その一言に「おやすみ。また明日ね」はたして自分の返答は正しいのだろうか。

