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No.100 「おはぎの思い出」

ペンネーム:サザエはつぶあん派
 

皆さん、連続テレビ小説カムカムエブリバディは、ご覧になっていましたでしょうか? 私はどっぷりハマって、1度目の放送ではリアルタイムと録画で1日2回見ていました。なぜこんなにハマれたかというと、劇中に「おはぎ」やあんこを炊く場面が良く出てくること、登場人物たちが苦労する姿や親子3代に渡ってあんこ作りが受け継がれる様子に、自分の家族を重ね合わせることが多かったからです。

 

3代目の酪農家に嫁いだ母は、姑が協力的でなかったため、朝・晩の仕事の傍ら、毎日の食事をほぼ全部用意しなければならず、私が幼い頃は年の近い3人の子供を育てるのに目の回る忙しさでした。

 

そんな中でも、おやつを作ってくれる愛情深い人で、あんこ好きの祖父のために、大量のこしあんを毎度文句も言わず丁寧に練っていました。甘党の祖父は、おはぎを1度に何個も食べるのです。当時の実家では、お彼岸に握りこぶし大のものを30個以上作るのが当たり前。人手がいるので、子どもの私も手伝います。ぎくしゃくしてる母と祖母に挟まれて作るのが年数回の行事でした。普段、距離を置く2人が協力して作る様子が可笑しく、終わってから自分の手についたあんこを舐め取るのも楽しく、出来上がったおはぎを1度に最低2個2食食べるのは辛く・・・、いろいろな思いをくれた「おはぎ」は、私にとって特別な食べ物になっていったのです。

 

成人してからも思い出は作られていきます。婦人会の諸先輩方へ自慢のあんこを意気揚々と出したところ、味見したご婦人たちがあまりの「甘さ」に数名むせたのです!食べた食後にお茶をがぶ飲みする人が多いこと・・。まさに青天の霹靂!!

 

後日、我が家のあんこの甘さが普通じゃないらしいという話を母にしたところ、「じいちゃんがあんこは甘くしろって言ってたから」とのこと。考えてみると、祖父は普段の料理が甘いのは苦手だったのに、あんこや和菓子は甘くないと美味しくないと言う人でした。どうやら、甘党の多い愛媛から入植した曾祖父の影響を受けていたようです。ルーツの食文化のほか、大変な時代を生きた曾祖父・祖父にとっては、あんこをとびきり甘くするのが、贅沢の一つで幸せなことだったのかもしれません。

 

現在、実家のおはぎは、時代に合わせて小ぶりサイズの甘さ控えめになりました。お彼岸のお仏壇にはいつもお供えされているおはぎですが、祖父は「我が家の伝統を曲げるな!」と怒っているかもしれません。だけど、小学生の息子や甥が、頻繁に食べさせなかったのにおはぎ好きに育ったので、「じいちゃんの甘党はしっかりひ孫に受け継がれたよ!」と報告できたら笑って機嫌を直してくれるのでは?とも思っています。

私と家族のおはぎにまつわる思い出は、まだまだ作られていきそうです!

本文ここまで

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