栄養士のつぶやき No.43

「38年目の春を迎えて」

北海道滝川保健所 飛岡 わかえ

 昭和52年に栄養士として働き始めて、38年目の春を迎えました。
人生の約3分の2を栄養士として働いて来たことになります。
気の弱い(?)私が、これまで、働き続けてこられたのは、同僚、上司、家族の協力、そして、仕事や栄養士会で知り合った栄養士の皆様の優しく、時には厳しく、的確な助言やサポートのおかげだと思います。
最初は、病院の栄養士でしたので、献立作成、調乳、発注、検収等の業務が中心でした。数年後には、個別栄養指導や集団栄養指導を行うようになりました。
献立は、当時の名称ですが、普通食、特別食を複数の栄養士が交代で作成しておりました。
お恥ずかしい話しですが、私は、献立作成が苦手で、いつも、考え込んで、時間ばかりかかっておりました。ちなみに、現在は、仕事で献立を作成することはほとんどないのですが、家庭に帰ると、主婦ですので、ワンパターン献立で家族に迷惑をかけています。(料理を作るのは、どちらかというと、好きです。)
病院では、糖尿病教室を毎月開催しており、栄養士は、「食品交換表について」と「実際の食事」というテーマで講話を行っていたと思います。(約30年前のことなので、記憶が曖昧なところがありますが…。)
糖尿病教室担当の医師から、食事療法が長続きするためには、家族一緒に食べる、例えば、カレーライスを使って、栄養指導を行ってほしいという要望(指示に近い)があり、「実際の食事」のテーマの時には、カレーライスを指導媒体として講話を行いました。
カレーライスを使っての講話に対する患者さんやご家族の反応は、あまり記憶に残っていないのですが、真剣に聞いてくださっていたと思います。
ところで、1ヶ月に1回とは言え、毎回、カレーを作るのは、大変なので、多く作って、冷凍して使っていました。
冬の糖尿病教室だったかと思いますが、お天気のせいか、参加者が「0」のことがありました。
よりによって、その日は、冷凍したカレーではなく、新たにカレーを作って、臨んだ糖尿病教室でしたので、上司から、事前に参加者を把握するようにと、助言されました。
私としては、がっかりと言うより、時間をかけて、準備しても、このようなこと(参加者「0」)もあるのだと、思いました。
栄養指導を行っていく中で、「病気になる前にもう少し早く、食事に気をつけてもらうこと」が、出来なかったのだろうかという思いを持ちだした頃、縁があって、昭和61年に道立保健所の管理栄養士に転職しました。
しかし、病院と保健所では、業務の違いもあり、一人暮らしも初めてでしたので、仕事でも生活でも戸惑うことが多かったのですが、周囲の助けと転職の頃の初心を思い出し、何とか、仕事を続けてくることが出来ました。
保健所に勤務し始めた頃は、市町村に栄養士・管理栄養士が配置されていなかったこともあり、市町村で行う基本健康診査の事後の結果説明会に協力し、血圧や血液検査の結果に基づいた栄養指導を行っていましたが、短時間の栄養指導でしたので、どのくらい理解し、役立てていただけるのだろうかと、不安に思うこともありました。
時は流れ、7カ所目の保健所(滝川は、2回目の勤務)となる現在の職場では、特定給食施設等の個別指導や集団指導、市町行政栄養士の研修、健康づくりの推進等(栄養・食生活、運動・身体活動等)の業務を行っております。
色々課題もありますが、幸い、職場には、もう一名、管理栄養士がおりますので、相談しながら、定年まであと2年、仕事を続けていきたいと思っております。
「えいようしのつぶやき」に寄稿するにあたり、「つぶやき」を国語辞典で調べてみました。『「呟く」小声で・ひとりごと(不平)を言う。』となっておりましたが、私の「つぶやき」は、「ひとりごと(感謝)」として読んでいただけましたら、幸いです。


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